株おばちゃん

氷のいらない箱と果実問屋:甘い配当が溶け出す日

このお話は、株おばちゃんの妄想による完全フィクションです。登場する人物・団体・商品・場所・時代はすべて架空のもので、実在のものとは一切関係ありません。

今朝は縁側で、いつもより濃いめに紅茶を淹れましたの。湯気の向こうで桃の缶詰を開けようとして、ふと思い出しましたわ。ああ、そういえば、あの冷たい箱のお話があったわね、と。

あれは、わたくしがまだ若かった頃でしたかしら。大きな川を蒸気船が行き交い、煙突から黒い煙がもくもくと立ちのぼっていた時分のことですわ。もちろん、わたくしの妄想まじりの昔話ですから、場所も人の名前も、うんとぼかしてありますのよ。

個人的には、儲け話よりも「熱いところで冷たいまま」という触れ込みのほうが、ずっと怪しく聞こえるものですけれど、当時の皆さまはそうでもなかったようですわ。お茶が冷めないうちに、どうぞ。

氷のいらない箱

盆地の夏は、空気そのものが焼けた鉄の味をしていた。果樹園の桃は枝の上で熟れすぎ、収穫して荷車に載せれば、街の端へ着くころには指の跡から黒ずんだ。船着き場までもっても、川を下る三日のうちに半分は汁になる。この土地の果実商は、捨てる分まで値段に織り込んで商いをしていた。

そこへマッティが現れた。痩せた背に仕立ての良い白い上着。広場に据えた木箱の蓋を開け、霜をまとった桃を取り出すと、集まった見物人に一つずつ手渡した。

「この箱は氷を食わない。冷たさを抱いたまま離さない。絶対温度保持箱と呼んでくれ」

桃は冷たかった。かじると歯にしみた。広場がどよめき、誰かが拍手をはじめた。

白氷輸送はその秋に看板を掲げた。永久氷花証書は、巨大倉庫の保冷利用権と毎月の配当を束ねたもので、買えば買うほど冷たい未来を分けてもらえるという触れ込みだった。

エイラは三代続く果実問屋の帳場で、目論見書を三度読んだ。計算は合っていた。合いすぎるほど合っていた。亡き夫の残した蔵の権利も、貯めた金貨も、娘の嫁入りのために取っておいた分も、少し迷ってから証書に替えた。

翌月、約束の日に配当が届いた。封筒の厚みを指で確かめて、エイラは思わず笑った。さらに数日後、遠い南の産地から白氷輸送の船が着き、箱の蓋を開けると、桃は朝摘みのように固く、香りが立った。

「ほら、見てごらん」

店先で、近所の商人たちに一個ずつ配った。誰もが同じ顔をした。やっぱりあの人は本物だ、という顔だった。

水の音

タピオは倉庫の監査係として雇われて半年になる。若く、帳面の端まで目を通さずにいられない性分だった。

異変に気づいたのは、深夜の巡回のときだ。裏門の前に、氷を山と積んだ荷馬車が何台も並んでいた。御者たちは黙って、藁にくるまれた氷塊を倉庫の奥へ運び込んでいく。街の氷屋が全部ここに納めているらしいことは、昼間、自分の下宿の氷が三倍の値になっていたことで見当がついた。

奥の扉は、監査係の鍵では開かなかった。扉の下から、ちょろちょろと水が流れ出し、排水の溝へ落ちていく。夜気のなかに、甘酸っぱく腐った匂いがかすかに混じっていた。

翌日、タピオは経理主任に帳簿の閲覧を願い出た。主任は笑って首を振った。

「配当の元帳は社長の管轄だ。君が見るものじゃない」

その夕方、マッティ本人が事務所に現れた。穏やかな顔で、タピオの肩に手を置いた。

「君の目はいい。実にいい。給金を上げよう。ただ、見えるものと見てはいけないものがあることも、覚えておくといい」

タピオは頭を下げながら、袖の内側で手帳を握りしめていた。手帳には、氷の搬入量と、倉庫の出入り口で数えた箱の数が、小さな字で並んでいる。氷の量が、箱の数と釣り合わない。配当に回っているはずの利益は、どの帳面にも現れてこなかった。

数日後、タピオは果実問屋の店先に立った。エイラは秤で桃を量っていた。

「奥の扉の向こうで、氷が大量に溶けています。箱の冷たさは、箱のものではないかもしれません」

エイラは手を止めなかった。秤の針がゆらりと揺れて、止まった。

「配当は毎月、一日も遅れずに届いているわ。うちの桃より甘いお話を疑うのは、あなた、少し若さの毒じゃなくて」

声は静かで、目は帳場の奥の金庫を見ていた。タピオはそれ以上言えず、礼をして店を出た。通りの向こうで、白氷輸送の旗が風に鳴っていた。

猛暑の日

その夏、盆地は記録的な暑さに見舞われた。朝から石畳が揺れ、川の水面まで白く光った。馬が倒れ、日陰の犬は舌を垂らしたまま動かなかった。

昼前、氷商人の組合が白氷輸送への納入を止めた。前月分の支払いが滞ったという。マッティは使者を何度も走らせ、証書の新規募集で集めた金を右から左へ回したが、氷の価格は一刻ごとに跳ね上がり、追いつかなくなった。倉庫の奥では、積み上げた氷の山が目に見えて背を縮めていた。

午後、最初の扉が内側から押されるように開いた。

水が出た。生ぬるい水が石畳を舐めるように広がり、荷車の車輪を濡らし、通りの溝をあふれさせた。続いて、むっとする匂いが倉庫街を満たした。熟れすぎた果実が腐って溶けたような、甘く重い匂いだった。箱の蓋が開けられると、中に入っていた桃は黒い汁になって底に沈んでいた。

「これが、永久の冷たさか」

誰かが言った。誰も笑わなかった。

人が集まりはじめた。証書を握りしめた商人、封筒の束を抱えた老人、赤ん坊を背負った女。足首まで水に浸かりながら、本社の正面に押し寄せた。

「配当はどこから出ていた」 「出てこい、マッティ」

怒号が重なり、最初の一個が石畳から拾い上げられた。窓ガラスが鳴った。二個目、三個目。白い旗が引きずり下ろされ、泥のなかで踏まれた。

二階の窓にマッティの白い上着が一瞬見えて、すぐにカーテンの向こうへ消えた。

井戸の底

夕方には水が引いた。本社の窓はほとんど割れ、扉は蝶番ごと外れていた。倉庫街には、熱と腐敗の匂いだけが残った。

エイラは石を投げなかった。群衆の後ろに立って、一部始終を見ていた。手には、畳んで握りつぶされた証書がある。誰かに肩を叩かれたような気がして振り返ると、タピオだった。

手帳を差し出していた。氷の搬入量、箱の数、扉の下の水の量。彼が小さな字で積み上げた数日分が、そこに並んでいた。

「もう、役には立たないかもしれませんが」

エイラは手帳を受け取り、ゆっくりとめくった。指が、ある頁で止まった。日付は、あの日のひとつ前の週だった。

「……あなたが店に来た日ね」

それだけ言って、手帳を閉じた。タピオは何か返そうとしたが、言葉を見つけられなかった。

その晩、エイラは店に戻り、棚に残っていた地元産の桃を籠に移した。傷みかけたものを除くと、半分も残らなかった。籠を持って裏庭に出ると、祖母の代から使っている古い井戸の縄を引いた。

桶が底から上がってくる。水面に月が揺れた。桃を一つずつ沈め、縄をゆるめてもう一度下ろす。

しばらくして引き上げた桃を、袖でぬぐってかじった。冷たかった。歯にしみて、少しだけ目の奥が熱くなった。

おばちゃんのひとりごと

桃を冷やす井戸水って、地味ですけれど、ほんとうに頼りになりますのよね。

毎月きちんと届くお金ほど、人は中身を見たくなくなるものですわ。正直に申しますと、わたくしも封筒の厚みを指で確かめて笑ってしまう側の人間ですの。だからこそ、「どうして冷たいままなのかしら」と一度だけ奥の扉を気にしてみること。それが、後になって濁流から身を守る、いちばん安い備えかもしれませんわね。

さて、ここまでのお話は、ぜんぶ、おばちゃんの作り話ですわよ。紅茶のおかわり、淹れてまいりますわね。

※この物語は妄想の完全フィクションです。実在の人物・団体・出来事とは関係ありません。また、特定の銘柄や投資手法をおすすめするものではありません。

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